“Newton saw an apple fall off a tree.”

歩いていたら犬に吠えられました。
声がした方に顔を向けると、犬が敷地の奥につながれていて、こちらに向かって吠えていました。

道行く人全員に吠えるのか、静かに歩いていたつもりだったけど起こしてしまったのか、考えながらも特に動じることなく通り過ぎようとして、ふと、犬に吠えられても怖くないのに、人に吠えられると怖いのはどうしてだろうと思いました。

犬に噛まれたり追いかけられたりしたことがない、犬に対して嫌な経験がない。
犬に対して一方的に好感度が高い。
距離が離れていた。
つながれていて、こちらに飛びかかってくる気配がなかった。
犬は好きだけれど一緒に暮らしたことがなく、犬の感情の機微を理解していないので、その場では「ただ吠えている」とだけ認識した。

必ずしも警戒したり怒っているから吠える、というわけではないようですが、私はその犬にとって全くの他人なので、多分警戒されたんだろうと思います。
もしも犬のことが大好きでたまらなかったら、犬に疑われてショックを受けたかもしれません。

犬に対しては多少落ち着いて考えられるのに、人が相手だと途端にわけがわからないことになります。

通りすがりの犬に気に入ってもらえず吠えられても、怖いというより残念な気持ちになります。
もし自分の家に迎えた犬に嫌われたら、原因を考えつつめげずに飼い主の威厳を取り戻そうと色々試すか、ある程度距離を置きつつ接するかするのだろうと思います。噛まれたら重装備で立ち向かうのか、生理的に受け入れてもらえない場合、そもそも最初の対面時に拒否してくれるはず…なのか…

犬と接していればそれぞれに性格があるはずだし、もし彼ら彼女らが人間だったら合わない場合もあると思うし、実際に犬と暮らしてみないとわからないことが沢山あるはずですが、どことなく犬に対しては親近感ばかりです。
対して初対面の人などには反射的に腰が引ける…犬が見ず知らずの人間を警戒するのと同じ感じなのかな、とふと思いました。

犬を対等な存在としてではなく、人間に庇護され、従う生き物として認識しているのか…犬を家族の一員として一緒に暮らしていたり、パートナーとして生活していたら、こういうのは傲慢な考えなのかもしれないと思います。

お店などですれ違う小さな子どもに対しては、ぶつからないように避けようとか、友人の子どもと遊んだときには、抱っこの力加減がわからなかったり、うっかり傷つけてしまったら、とか目を離してどこかに行ってしまったら、とか、子どもに対してというより、子どもを守れなかった場合の怖さがありました。
恥ずかしいという感情をまだ知らない、感情や欲求をそのまま表現しているように見える子どもに対しては、安心感を覚えたのか…。
自分だって人から見れば何を考えているかわからない人間なのだから、恐怖を覚えられているのだろうか?とふと思って少しショックを受けました。

などなど思ううちに、もし次に会えるときにはうんと成長して、もうあの子たちは遊んでくれないんだろうなあと思うとちょっと寂しいです。

目に見える、自分がそうと認識する他人の感情や行動を、自分とは切り離して捉えたり、判断したりしないことが必要なのかもしれないと思います。

身を硬くする、という言葉がありますが、多分怖さを感じるときは身体が強張っている気がします。あるいは、肩が凝っていたり運動不足だったりして、常に身体がかたまっているから、ちょっとした刺激でも緊張したり過剰反応してしまうのかもしれないと思います。

判断したり、決めつけてしまうと、もうそれに縛られて動けないのかもしれないと思いました。
自分がそれと思ったり感じたりというのは、そのつもりはなくてもすでに判断しているということなのかもしれなくて、そのままを認識するというのは難しそうだ、と書いてしまうと出来なくなってしまいそうな…ひぃ。

からだの状態をいち早く認識して、まずは力を抜くことや、日常的に身体をやわらかくするよう意識したいです。


ブログタイトルはWebSaru辞書より引用させていただきました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です