なつやすみ

快晴の日、夕涼みに出かけて、木が生い茂る道を通ったら大変に心地よく、植物とはなんと偉大なことかと思いました。

ふいに、いつか死んだらお墓に入るのではなくて、木の下で養分になりたいなあと思いました。そういえば樹木葬というのも人気があると聞いたことがあるような…。
夏といえば毎年暑い暑いと言いながら過ごすばかりですが、蝉の鳴く声を聞いていると、合間合間で一瞬だけ、夏休みという響き、どこかのんびりとした空気を感じます。

買い物に行ったら、レジで、高校生くらいの子がちょっと緊張した様子で丁寧に接客してくれる場面が度々あり、夏休み中のバイトかなあ、偉いなあと思いつつ、男の子と女の子二人組だったりすると、ここから甘酸っぱい思い出とかが生まれるのかしら、青春だわ〜おばちゃん応援しちゃうわ〜と勝手な妄想で勝手にじわじわと楽しい気持ちにさせてもらいます。
10代に戻りたいとは思わないけれど、もし今の価値観や感覚のまま戻れるのなら、もうすこし違った道があったのかなとも思います。

最近、ちいさなことで、読みが外れるような、期待という言葉を使うまでもないような、こんなことまでその通りにはいかないのか、ということが続いていて、がっくりするような、何かがずれているような、すこし怖い気持ちになりました。
けれども、とてもちいさなことなので結果とか責任というのは大げさだけど、それに対してしぶしぶでも別の策をとったり、自分なりに通り過ぎているので、アドリブの練習とでも思って、へらへら明るくしていたいです。

自分以外のありとあらゆるものに対しての、こうなるだろう、こうあってほしい、こうならないかな、のようなものは、あくまで自分がそう思ったというだけで、大きくても小さくても、それらが外れたからといって、それは当然といえば当然で、それは日々顔をあわせる人や物、ある程度理解していると思っていた対象でもそうで、そのことに対して自分が悪いとか何とか思う必要はなくて、予想は精度を上げつつ、期待は削いでいけたら、もっと楽になるかなあと思います。

先日、友人の誕生日のお祝いをして、先輩のライブを拝見して、あれもこれもままならぬものだと身にしみたこの一年を振り返って、もういいんだ、という言葉がほんのり浮かびつつ、これからの数年で、もうあとひとふんばりふたふんばりぐらいしないと、そのうち身動きがとれなくなったときに困るばかりだろうと思いました。友人が新たな一歩を踏み出して、自分も頑張らねばなあと思いつつ、今は焦らず淡々と、できることをやるしかないと思います。

これまで何回も試みてだめだったことは、方法が悪かったのか、それともそれ自体に縁がないのか、後者だと受け入れるのはなかなかにきついのですが、もしそうなら、腹づもりをしなくてはならないし、覚悟していても実際はもっときついのがくるんだろうなと思いながら、悲観しても役に立たないので、まだ選択肢があるうちは、受け入れることを覚えつつ、もがけるときにはもがこうと思います。

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