どうけどうけ、

先日、金沢へ旅行にでかけました。兼六園や金沢城公園、茶屋街など、金沢駅近郊をぐるりと歩いてきました。

初日、駅に着いて、観光案内所で地図を一枚いただき、構内のつくりや駅前の感じが、以前に行ったあの場所と似ているな…などとふむと思ったり、行き交う人の様子を眺めたり、観察する気分になるのは慣れなのか何なのか、いつか一人旅したときの、やたらに何かに胸躍ったりするような、わくわくする気持ちは、若さだったのだろうなと思います。
それでも、普段と違う場所にでかけたときの高揚感があり、美しく整備された街並は、そこを守ったり大切にしようという人の気遣いのあらわれのように感じられました。天気にも恵まれ、のんびり旅先を歩くのは楽しいものでした。

年々と、別の場所を求めなくてもよい気持ちというのか、焦りやあれやこれやを改善したいという気持ちはありながら、むやみにどこかへ行きたい、変わりたいという気持ちのかわりに、ちょっとした人とのかかわりにじわりと喜びを感じるのを自覚して、これも年をとった証拠なのかなと思います。
たまたま若者と話す機会があれば、その若さやみずみずしい感じがまぶしく、求められてもいないのに勝手に励ましたいような、花をもたせたいような気持ちになり、飲みに行ってカウンターに座れば、てきぱき動く店員さんの隙を見てちょっかいをかけたくなり、年をとると、どんどんさみしくなるのか、あるいはからだが衰えて気の持ちようが不安定になるのか、それとも本来の図太さのようなものがどんどん出てくるのか…

旅先では、一人だしあまり喋ることはなかろうと思っていたのですが、人と会話を交わす機会があり、その方々がとても気持ちのよい、心根の健やかな印象を受ける方で、自分が観光客だからというのあるかもしれませんが、やさしく接してくださり、いろいろな風景や食べたもの以上に、よい旅の思い出になりました。

これまで生きてきたなかで、ふとしたときに思い出す人がいて、ある期間だけ、あるいはたまたま一瞬だけ関わって、けしてたくさん話をしたわけでもなく、自分は何かをしてあげられたわけでもないのに、その人たちが自分にしてくれたこと、かけてくれた言葉、たたずまいや雰囲気がずっと胸にのこっていて、もう二度と会えないし、感謝の言葉も伝えられないけれど、思い出す度に救われるような、雑になった思考が整うような、ありがたい気持ちになります。
今回よくしてくださった方を、きっとまた折に触れて思い出すだろうと思います。

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