間に線を引くこと

ふと鏡を見たとき、思わずうわあという音が浮かぶくらいに老けた顔があって、しみじみ年をとったなと思いました。一年前だって若くはなかったけれど、一年前より確実に老いていて、これからは一年と言わず、半年、一ヶ月、日一日、顔やからだが変化していくのを感じることになるんだろうと思います。

もう、今まで悩んでいたようなことにわずらうべき年齢ではなくて、内に内に向かって、きちんと境界線を引くことを覚えるときなのだと思いました。同時に、ほんのすこし前までは、きっと若かった、青春と呼ぶべきものが自分にもあった気がしました。

いつもうじうじ悩んだり、手探りでもがいていただけのような、映画や小説や何かに描かれる明るい青春とはかけ離れた日々だったけれど、夢中で目指していたものがあって、楽しい時間も確かにあって、まっすぐどこかへ向かっていくあの気持ち、何かがあるかもしれないと行動する気持ちが沸き起こる、あの感じ、外に何かを求める状態こそ、若さで、青春だったんだろうと思います。

あんた誰だよと言いたくなる感じに、老けただけなのか顔つきが変わった気がして、まだまだ頼りないしできないことが山ほどあるけれど、知らない間に一応はおとなになったのかもしれないと思いました。
色々なことにつまずいたり、悩んだり、年をとるほど向き合わなくてはいけないことが出てきて、それにもまた動揺したりくじけるかもしれないけれど、まるごとぶつかって傷つくことができるような柔らかさはもうないような気がします。
それは、何かを通り過ぎる度に、多分ほとんどは勝手に傷ついて、そこから守るためにすこしずつかたくなった、あるいは、これから来る色々を乗り越えるためにかたくなって、色々なことに鈍感になっていくのかもしれないと思います。

それがおとなになるということなら、すこしかなしい気もするけれど、以前の自分と比べればたくましくなった、衝撃や波紋がやたらに広がらないようなかたさを持てるようになったのかもしれないと思いました。

足が震えるってこういうことかと思った日も、行動して失敗に終わったたくさんのことも、後悔が度々顔を出しながらも、ただ懐かしいような、世間でいうおとなとして成すべきことは何も成しえていない自分の人生でも、友人や家族、今まで出会った人を思い浮かべると、一日一日が積み重なることの重み、時の重みというものを感じます。

認めたくなくて向き合ってこなかったことを、時間がかかっても、認めて受け入れる時期なんだろうと思います。

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