旧作レンタル7泊8日

ふと連絡がつかなくなったとき、何かあったのかと気がかりで、あるいはこちらが何か妙なことをしてしまったか、後者であればそうであっても便りがないのはよい便りで、そもそも返事をもらえると決まっているわけではないし、こちらのあずかり知らぬところでよい毎日を過ごしているのだろうと思ったとき、ふとレンタルビデオが思い浮かびました。

バンドや友人や、まるで楽しい時間を借りていたような、お金とかそういう条件付きで一緒にいてくれたわけではないと思うし、たまたまの結果だけれど、借りたものはいつか返さなくてはいけないと思えば、致し方ないと少し腑に落ちる気がしました。
レンタル料も期間もわからず、ある日突然返却を迫られて、ときにはその時点で初めて払った代償に気付いたり、そこから得たもの、与えられたものの大きさに気付いたりするんだろうと思います。

これが最後かもしれないと思うときほど、あっという間に時間が過ぎてしまって、あるいは次があるかもしれないと思ってしまうと、あれが最後だったのかと呆然として、ままならないなと思います。

いつでも終わりは唐突で、旅人のように、土地から土地へ、それぞれの美しい景色を眺めるような、果たしていつかはずっとそこに留まっていられる何かを見つけられるのか。

手を伸ばしてもいつも届かなくて、たとえば美術館の展示みたいに、触れてはいけない、ただ許された距離で見ることができるだけという、そういう状況なのだと、どうして最初から理解できないのか、あるいは最初にまずそういう対象かもしれないと考えられるようになれば、多少は賢くなれるのか…。

馬鹿だなと思っても、そういう感情を知らないでいるよりはきっとよかったと思えたり、全部懐かしく思えるときが来るとわかったり…というのはもはや耐性が身に付いただけなのか、それでも、形がないし目にも見えないものが自分が得て来たもの、唯一自分のもので、誰に対しても自慢できないし見せられもしないけれど、誰かにわかってほしいような気持ちもひっくるめて、最後まで忘れずにいたいなと思いました。

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