悪は悪として生まれなば

“人間とその他の生き物とでは善悪の基準が違う、いや、こんな言い方をするとまるで地球が人間ありきにでも聞こえてしまう、最近人間の観察をし過ぎて、ついには人間になりきっていたから、周りのやつらは気味悪がってどこかへ行ってしまった。
そうつまり、生き物の中で人間だけが善悪という物差しを使っていて、しかもその物差しはクニという集まりによって違うという。どころか、個体によっててんでばらばらだったりもするらしい。まあ、どの個体にどんな性質が発露するかは、人間たちにもー今はまだーコントロールできないようだ。というのは、人間は、宇宙やこの地球の、ありとあらゆる仕組みを解明し、制御できると考えているらしいから。
人間たちが善と呼ぶ仕組みだけを集めたら、それは人間の世界に恩恵をもたらすこれ以上ない善良な仕組みになるとでも考えているのだろうか。

人間たちは「カネ」と「カミ」という仕組みを作り出し、人間の大半はその仕組みの中で生きている。そして、その仕組みに支配されている。人間たちの世界を覆い尽くすその仕組みは、今や人間たちに制御できないほどに肥大し、人間たちを飲み込み、人間たちの暮らしに格差を生み出した。
そこから生まれるものの多くは憎しみ、怒り、悲しみ…仕組みの恩恵を享受しているごくわずかの個体や集団のほとんどは、それらに全くと言っていいほど興味がないか、関係がないと考えているらしい。
実際に、彼らにはあの声は聞こえないし、必死に伸ばした手も届かないし、憎しみに研がれたナイフも届かない。仕組みのカギを握っている数体の個体は、その他の多くの人間を動かし、そこから生まれる現象を楽しんだり、あるいはその仕組みを育てることに余念がなかったりする。
あるいは、人間は個体が感知できる以上の範囲に広がりすぎて、我々のような視点を失ってしまったのだろう、自ら発明した善悪の物差しではかることもできないようである。もしくは、すでに仕組みの一部となり、個体としての意思などないのかもしれない。

仕組みを理解するわずかな個体は、そうではない大多数の個体にその実態を隠し、ときには虚偽によって自らの利益を確保し、その他大勢の個体への配慮が全くないように見える。その結果、大多数の個体が目も当てられないほどの不利益を被っているのは不思議で仕方ないが、もはや人間は種として、生物として去勢された状態なのであるから、さもありなんというところだろう。
人間自体の力の個体差は、大したことではない。そのわずかな差を異常に広げる仕組みによって、ごく一部の人間、あるいは集団が不自然な力を持つのだ。

人間は、自らの生み出した仕組みによってやがて自滅するというのが我々の予測である。この地球に、人間に生まれること以上の不幸があるだろうか?というのが人間に対するもっぱらの感想ではあるが、こうして人間たちを観察し、その個体ひとつひとつに目を向けていくと、そうとは限らないのかもしれない、とも思えることもある。
毎日毎日観察している個体は、明らかに自分が優位であると考えているように見えるーなぜならエサを用意したり、からだを清潔に保ったり、生きていくためには自分がいなければならないと考えているし、事実人間たちがはびこる場所で生きるには、全くその通りであるからーそして、立ち止まって見上げると大層「うれしそう」な反応を返してくる。このうれしい、という反応は、悪くない。時々的外れな場所を撫でてくるが、決して危害を加えるつもりないらしい。「かなしい」という状態でじっとしているときには、そばにまとまわりつくだけでいい。うれしそうな反応に移行すれば、この個体との関係性において優位な状態となるのだ。

人間は自らの物差しに合わせて解釈する。その視点がものすごくまっとうだと考えているし、この地球の、宇宙の平均値だと思っている。視界に入る都度、あの個体は大体うれしそうな反応を返してくる。いまのところ、重要なのはそのことである。”

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