例えばあなたの父であり母であり娘であり兄弟であり友人でありあなたであり、(ある真夏の王様と死神殿の食卓)

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生まれる前から知ってたのは、ケーキはおいしいってことだと思うんだ。

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“昔々、アウグストゥスとフェブリアリウスという名の兄弟が治める小さな島国がありました。一年の半分は実りの季節、もう半分は眠りの季節と呼ばれ、ふたつの季節は太陽の動きに合わせて規則的に王国に訪れるのでした。

弟のアウグストゥスは実に気の多い、血気盛んな明るい性格の持ち主で、実りの季節の王として民から慕われていました。引き締まった精悍な顔つきと小麦色に焼けた逞しい肉体は彫刻を思わせ、その瞳には皺一つなく広げたビロードのようにすべらかな青空の色を灯し、乱暴にまとめあげた金色の髪は光を抱き込み、世にも稀に見る、神の生き写しともたとえられる相貌は、見るもの全てを虜にしました。
国中の女はおろか、森の獣や空の鳥たちまでもがアウグストゥスの前では立ちどころにしおらしく、おとなしくなびき、海から出られない魚たちも、アウグストゥスの姿を一目見ようと水面から必死に顔を出し、空に浮かぶ星々も、遥か彼方の地上にいるアウグストゥスに懸命に目を凝らしたのです。
男たちも、自らとは比較すべくもないアウグストゥスの人ならざるような魅力に、羨望をはるかに通り過ぎた尊敬のまなざしを送ったのでした。

毎年実りの季節の始まりに、アウグストゥスは島の周りを泳ぐ太陽の名をやさしく呼び、恥じらいながら近付いて来た太陽を抱き締めると、溢れんばかりの日射しを国へと導きました。アウグストゥスにとらわれ、恥ずかしさのあまりもがき暴れる太陽のエネルギーによって、人々は作物を育てることができたのです。
国中が十分な収穫を得たと判断すると、アウグストゥスは太陽の頬にくちづけを送り、お礼を言って空に放しました。そして太陽を口説き、抱き締め続けてさすがに疲れ果てたアウグストゥスに代わって、兄のフェブリアリウスが治める眠りの季節が始まるのでした。

フェブリアリウスは、太陽が空に帰りこの島がやがて寒さに包まれる間、国の全てを眠りへといざない、その間ひとりきりでこの島を見守っておりました。眠りは、法律で権利と義務として国民に課せられ、それを破ったものは永久に国から追放されるという厳しい掟がありました。他の法律が新たに成立したり、改正されたりしても、眠りに関する法律だけは、一度も手を加えられることなくこの国に存在していましたが、その他にはいたって平和な人々の暮らしがあり、規則正しく生を謳歌する理想の王国であったのです。

眠りの季節の王であるフェブリアリウスは、アウグストゥスより一回りか二回りは小さく、目深に被ったローブから覗く瞳は、太陽を隠した雲のような、光を閉じ込めたような鈍色をしていました。
弟のアウグストゥスがどこにいても人目を引き、生命力を発散させてみなぎるさまに比べて、フェブリアリウスはまるで気配を消しているかのように、大層おとなしく、物静かな雰囲気をただよわせていました。
低く、よく通る声色は、数千年を生きる賢者を思わせ、実際フェブリアリウスは、その明晰な頭脳と膨大な知識によって、一年を通して国政を一手に引き受けておりました。

アウグストゥスが太陽の光を導き、この国に実りの季節が訪れている間、フェブリアリウスは城にある自室で常に国民のための政策を練り、また、眠りの季節に入れば民は皆ベッドに入るので、人々がその姿を見ることはありませんでした。
青白く、骨張った手で一文字一文字新しい法律の草案や古くなった法律の改正案を書き付ける合間に、フェブリアリウスは時折大きな窓から民が畑を耕す様を見守り、アウグストゥスに抱き締められた太陽の恥じらいを、どこか物憂げな瞳をして眺めておりました。


そして、今年もまたアウグストゥスが太陽にくちづけを送り、名残惜しそうに振り返りながら段々と太陽が遠去かると、青々と生い茂っていた若草は壮年期を迎え、果実が実を結び、やがて黄金色に染まった島は収穫の時期を迎えました。

人々は盛大な収穫祭を催し、大急ぎでみずみずしい収穫を味わったあと、自分たちが眠っている間ひとりこの国を守ってくれるフェブリアリウスのため、そして眠りの季節から目覚めたアウグストゥスが太陽を口説く前の腹ごしらえをするために、残りの収穫物を丁寧にジャムや果実酒や乾物にし、また皆で目覚めたときのお祝いのひとときを思いながら、眠り支度にいそしみました。
そして、太陽がいよいよ空高く島国から離れ、厳しい寒さが島をすっぽりと包み込んだある日、太陽がそっと藍色のカーテンを引くのを見て、人々は互いにおやすみの挨拶をして、やわらかなベッドに入ったのです。

暖炉の炎が揺れる広間の大きな窓から、城下街の外れで最後の灯りが消えたのを確認すると、アウグストゥスがフェブリアリウスの向かい側に座りながら言いました。

「兄者、民は無事全員眠りに入ったぞ。」
「うむ、そうか。これで今年も安心して眠りの季節を迎えられるな。」

兄弟は、部屋の中央に配置された長いテーブルをはさんで向かい合っていました。実りの季節と眠りの季節の境目、アウグストゥスが眠りに入る前に、食卓を共にしてその年の収穫を味わうのが、この兄弟の長年の習慣でした。ふたりが向き合うテーブルにはろうそくが灯され、従者たちが眠る前に用意してくれた心尽くしのごちそうが所狭しと並んでいました。アウグストゥスがそれぞれの杯に果実酒を注ぐと、ふたりは小さな音を立てて乾杯をしました。

「今年の太陽も実にすばらしいエネルギーを授けてくれた。兄者の食卓もにぎやかになるはずだ。」
「そうか、楽しみじゃな。」

アウグストゥスは旺盛な食欲で大口を開けてごちそうを頬張り、フェブリアリウスはナイフで小さく切り分けながら、少しずつ味わって食事をしました。会話もほどほどによく飲みよく食べ、ほとんどの食事をたいらげて、程よく酔いが回ってきたアウグストゥスは大きくひとつあくびをすると、フェブリアリウスに言いました。

「賢いフェブリアリウスよ、ときにこのような問いが許されるものかどうか、私にはわからぬのだが…。」

フェブリアリウスは、眠気のせいか珍しく歯切れの悪い物言いをするアウグストゥスが目をこすっているのを見やり、ゆっくりと言いました。

「言いたいことを腹にしまい込んだままでは寝付きが悪くなるぞ、弟よ。何なりと言うがよい。」

アウグストゥスは、しばらく黙っていましたが、やがて寝ぼけ眼のままフェブリアリウスの顔を見つめて言いました。

「そうか…では兄者よ、我々の民にとってこの眠りは必要なのか…?我が国の技術は年々発展し、太陽のエネルギーを効率よく蓄えられるようになった。食料生産の能力も100年前とは比べ物にならぬ…。私が眠り、太陽が遠去かっている間をしのぐだけの備えはできるはずではあるまいか…。」

アウグストゥスはテーブルに片肘をつき、もう片方の手を伸ばして、あまり減っていないフェブリアリウスの杯に果実酒を注ぎ足しました。手元がおぼつかずに少しこぼしてしまった果実酒が、真っ白なテーブルクロスを紫色に染めていきます。その様をぼんやりと見つめて杯をあおると、フェブリアリウスの方へ向けて空の杯を掲げ、アウグストゥスは言いました。

「兄者は眠りの季節の間、ただ一人で寂しくこの島を見守っている…。我々の民は、太陽を導くこのアウグストゥスを褒めそやすが、賢くこの国を治める兄者にこそ真に敬意を払っている。民の前に兄者が姿を現すのを皆心待ちにしているはずだ。そして兄者と共に、私のいない季節を過ごしたいと願っているはず…。」

段々と目線がフェブリアリウスから空になったいくつもの皿へと落ちて、最後の方は消え入りそうな声で話し終わると、アウグストゥスの頭がかくんと動きました。アウグストゥスははっとした様子で顔を上げましたが、すぐにまたうとうとし始めました。

フェブリアリウスはアウグストゥスの手から杯を取り上げ、そっとテーブルに置きました。ゆっくりと一口果実酒を口に含み、立派な椅子に深く座り直すと、フェブリアリウスはしばらくの間ろうそくの炎を見つめていました。そして、テーブルから少し離れた物陰で待っていた眠りの国の使者が、アウグストゥスの肩を叩こうとするのを目に止めると、こほんとひとつ咳払いをしました。すると、うつらうつらしていたアウグストゥスはびくっと肩を振るわせてゆっくり顔をあげました。

「弟よ、お前は眠りの季節の太陽を見たことはあるまいが、自らが手を放した瞬間の太陽を知っているだろう。」

「…ああ…あれもなかなか可愛らしい奴だ。私がくちづけをして手を離した途端、慌てふためいて空へと舞い上がっていく…。そのくせ何度もこちらを振り返り、機嫌を伺うように雲の隙間からそっと覗いているのだ…。私が眠っている間も、遠くから私の寝顔を見ているのであろう…?」

「そうだ。あれは自分からお前に近寄ってくることもできない。いつ声がかかるかと、おとなしくお前の様子を伺っている…お前や民が眠っている間、太陽はいかにも弱々しく、大人しい顔をして泳ぎ、度々居眠りをしているのだ。お前が眠っている間にこの島に降り注ぐ太陽の光は、お前がもたらすあの爆ぜるような、強大な生命力の光には到底及ばず、ただそうっとこの島をくすぐるだけじゃ。」

アウグストゥスは、重くなる瞼を必死にあげながら、フェブリアリウスの話を聞いていました。

「…だがその弱々しい日射しは、この島に計り知れない影響力をもたらす…眠りの季節の太陽は、狂気をもたらすのだ。」

「…狂気…?…兄者…それは真なのか…あのいかにも純朴な、生娘のような太陽が、我々を狂わせるというのか…。」

目を覚ましているのがやっとの様子で、それでも生真面目に問いを返すアウグストゥスを、フェブリアリウスは薄くほほえみながら見つめました。

「儂は気が遠くなる程の長い間、ただ一人で静かな太陽の日射しを見つめ、じっと時が過ぎるままに過ごしてきた…あまりにも穏やかなその光を見つめていると、何もかもが許されたような、あらゆることがどうということのない、些末なことのように思えた。悲しみも怒りもない、感情という喧噪から遮断され、このまま全てが終わってもいいような…不完全な、ちっぽけで貧相な、頭でっかちの一人ぼっちの儂と、太陽の寝息だけに包まれたこの世界とで完璧で、完全に調和がとれていると悟ったのだ。儂が儂以外の何者にもなる必要はなく、もはやこれ以上何一つも加える必要がないほどに。」

アウグストゥスは、ぐったりと椅子にもたれたまま、夢うつつにまばたきを繰り返しています。

「穏やかな太陽の日射しの中で、命は自らの体温を知る。熱くもなく冷たくもなく、ただ呼吸するだけの温かさでそこに存在し、あふれるほどのエネルギーに満ちた日射しの中では眩しすぎて見えなかった、ちいさなちいさな輝きを、つぶさに目の当たりにするのだ。冷たい空気にすべての刺激が吸収され、太陽の寝息の中で、全てを許され、魂の隅々まで抱き締められ、包まれる…。何と静かで、穏やかで、何もないことであろうか。自然に目を閉じて、このまま眠りに落ちて二度と目覚めなくても構わないような…そして儂は気付いた。何一つ音のしない静寂で、心音と共に静寂に残されて平常心を保てないように、完全なる平穏において我々は気が触れてしまうのだと。完璧な平穏は、まるで聖者の顔をした死神なのだ。優しく我々の手を引いたかと思うと、そのまま我々を遠くへ連れ去ってしまう。あまりにも穏やかにほほえむものだから、その手を振りほどくことなど思いつきもしない。」

眠気に最後の抵抗をするアウグストゥスを見やり、フェブリアリウスは続けました。

「かろうじて狂気に飲まれずとも、ひとたびその狂気に気が付いた者は、今度はそこから逃れるために血眼になって刺激を求めるであろう。この国の規律を乱し、やがては争いを引き起こす…例え我が国がどれだけ発展しようと、あの絶対なる安らぎに誰も触れてはならない。何も知らぬまま眠っていなければならないのだ。」

少しの沈黙が流れたあと、優しく、まるで子守唄を歌うような口調でフェブリアリウスは言いました。

「おやすみ、我が兄弟よ…」

アウグストゥスの瞼がゆっくりと閉じていきます。

「…おやすみ、兄者…」

とうとう目を閉じたアウグストゥスが、聞き取れないほど小さい声でつぶやきました。


こうやってアウグストゥスに真実を語るのは、もう何度目になるでしょう。アウグストゥスは、軽いいびきを立てて気持ち良さそうに眠っています。目が覚めたときには、アウグストゥスはフェブリアリウスとの会話を夢の中での話と思うか、すっかり忘れているに違いありません。

眠りの国の使者が、アウグストゥスを彼の部屋へと運んでいきます。それを眺めながら、フェブリアリウスはアウグストゥスがほとんど飲んでしまった果実酒の残りを杯に注ぎ、大きな窓の方へ向かって杯を掲げました。黄金色の星々を縫い付けた藍色のカーテンの向こうで、太陽が幸せな夢を見てほほえむ気配がしました。

たわわに実ったひとつの星がアウグストゥスの寝言にびくっと恥じらい、驚いたまま真っ逆さまに落ちて行きました。”


参考資料
二十三夜の月待ち信仰は死神の追悼儀式だった

王様の名前の参考資料として拝見致しましたm(_ _)m

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