何かを得るとき、それを失うとき

パソコンの動作が鈍くなり、常にファンがウンウンし出し、持ち込みで診断を受けたところ「そろそろ来る」と言われ、バックアップは取っていたものの、パソコンが動くうちにやっておかなければいけない作業を、鈍い動作のままジリジリと行い、新しいパソコンの購入、このパソコンを使っていた日々のあれこれを振り返ったり、外付けのハードディスクもそろそろ危ないのではとか、機器がパソコンに取り残されていて新しくケーブルを買わねばならぬらしいとか、思いの外ディスプレイが大きくて備品の購入も必要かもしれなくて泣きそうとか、新しいパソコンが早速異様な音を立ててわめき、それをサポートに問い合わせたら、保証期間内だから大丈夫とのお告げを賜り、音は止まったけどなんとなく動きが怪しいような、でも調べるとよくあることのような、作業のメモを紙に書き付けながら安堵したり、そんな一連のあれこれで、この数年、いかにあれこれをデータに変換してきたのか、それが消えたら何も残らない気さえして、ものすごく自分がバカバカしいような、パソコンの奴隷だなあと思ってぽっかり口を開けました。
呆然としつつ、この新しいパソコンが、これまで使用していたパソコンと同じくらいの期間頑張ってくれるとして、その期間を目安に、また少し方向を変えていけるような気もしました。

これまで使っていたパソコンは、新しいパソコンが若干怪しいこともあり、まだ処分はできないけれど、メーカーへリサイクルに出したり専門の業者さんに頼むとしても、あの唸り具合や不機嫌さを見る限り、その前に自分にできる範囲ですっかりデータを消す作業も完遂できなそうだ、どうやって処分しようかと思うにつけ、それを使うことしか考えずに、それを処分することやその後のことについては全然考えていなかったと、目先のことばかりにとらわれる自分に呆れ、芋づる式にあれこれが思い出され、誰かと知り合ったり、何かを手に入れたりしたとき、それと同時にいつかは別れたり失ったりするときが来ることも確定してしまうのかと、わかったようなわからないような、暑さのせいかぼんやりと思いました。

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