“それでは校長先生お願いします。””おっほん。えー、諸君にいいたいことは、ことばを捨てて外へ出なさい、ということです。”

“諸君はこれまでことばという道具を磨き上げてきたわけですが、それでなんでもかんでもできると思っちゃあいけません。まして、他人を救えるなどということは!いいですか、一人の人間が救われることがあるとすれば、それはことばを持たないいのちがその人に触れたときです。救うというのはちょっとちがうかもしれません。それは、人間が…人間のからだが本来もっているちからを引き出すのであります。我々の知ることば抜きで存在するものだけが、その人のいのち、こころにはたらきかける。ごたごたと「正しいこと」をならべる暇があったら、森や川や海へ連れて行きなさい。澄んだ空気を、冷たい水を、絶え間ないせせらぎや波のリズムを共に感じなさい。いや、その辺を散歩するだけだっていいのです。道端に咲く小さな花を、通りすがりのアリやミミズやイヌやネコを一緒に眺めなさい。水たまりに広がる波紋の向こうの自分たちに微笑みかけなさい。真夏の木陰の涼しさを、枯れ落ちた葉の甘いにおいに気がつくのです。それが難しければ、窓辺に一輪の花を飾っておあげなさい。窓を開けて、そよぐ風を、鳥たちのさえずりを部屋に呼んであげるのです。とにかく我々のことばを持たないいのちがすこしでも感じられる状況をつくることです。そして、何も言わずに、その手を握っておあげなさい。抱きしめて、背中をさすってごらんなさい。ことばとはただの音でしかないと、ふいにひらめいたとき、あなたのことばは初めてことばとしての意味を持つのです。諸君の未来に幸多かれ。”

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