うん、国際電話

うんこくさい電話〜と、小学生のとき、同級生が何やら嬉しそうに言っていたのをふと思い出した。


自転車に乗ろうとして、遠目に、サドルに黒と白とオレンジの混ざった小さい塊がくっついているのが見えた。あと1センチずれれば地面に落下するものを、狙ったようにサドルやら何やら、自転車のどこかに鳥が糞を落としていくことがあるので、またその類かと思いきや、てんとう虫だった。ちょっと目を離したら、どこかへ行ってしまった。

自転車にまたがり走り出すと、お腹が痛い。家を出る前から怪しい気配はあったが、いつもよおすかわからぬものを待ってとどまる訳にもいかず、私は行かねばならぬと、意味のない使命感にかられて出かけた。

それが間違いだったなと思いながら自転車を漕ぎ続け、痛みが引いて、もう大丈夫かな?と思うとまた痛くなる。何回か波をやり過ごしながら、大して所要時間の変わらない二つの道を、どちらがよりトイレに近いか考える。あっちは道が狭くて、すれ違う車が詰まっていてなかなか進めないことがある、だとすればこっちの方がスムーズな分気も紛れるか…。

トイレのことしか考えられなくなる状況は、たびたびある。家にいるときであれば、思う存分トイレにこもることができる。しかし外だと大変だ。初めていく場所であれば、トイレを探すところから始めなければならない。
かかる状況においては、仮にどんなイケメンや美女が語りかけてきたとしても、どんな美しい景色がそこにあろうとも、すべてをスルーする確信がある。もはやトイレのことしか考えられない。

トイレでうなっていると、それまで色々考えたり悩んでいたのが、滑稽にすら思えてくる。何を格好つけていたのだ自分は。今となってはうんこのことしか考えていないではないか、このうんこマンが…と、我が身を省みるいい機会だったりもする。


こういう状況はたまにだから、普段問題なく過ごせるものの、お腹が弱い人は毎日大変だろうと思う。うんこ漢字ドリルが大ヒットしているというし、とかくうんこは人気者だが、これが小学校なんかでは、学校のトイレでうんこをしたというだけでいじめにつながったりするというから、なんということか。うんこに過剰に反応するのは日本人だけなのだろうか。

からだの具合、健康状態というのは、本当に気の持ちようを左右すると実感する。四六時中トイレのことだけしか考えられないような状況では、何も手につかないし、楽しめない。
みんながみんな、ちょっと気をつけただけで健康を保てるかといったら、そういうわけでもなくて、体質という前提条件が違う。気をつけていてもどうしようもなかったりする。
そういうのはデリケートな話だったりするから、ぱっと見ではわからなかったのを、仲良くなってから初めて実は…と打ち明けてくれたりもする。

予防のための人もいるだろうが、周りでもマスクをしている人が増えた。ちょっとした風邪ぐらいだと軽視されがちな雰囲気だけれど、みんなゆっくり休めたらいいのになあと思う。こころも大事、からだも大事だ…。

いい天気だなあとかなんとか、日々のささいな変化を感じ取れたり、日差しを心地いいと思ったり、そういうのも健康であるからで、その健康というのはまったく当たり前ではなくて、たまたま与えてもらったもので、まことにありがたいと思う。

先日都心に出たら、この冬初めてイルミネーションを見た。イルミネーションを見ると、もう冬か…と感慨深いような気持ちになる。都会はあちこち電飾で飾られているんだろう。

寒いけれど、歩き回ったりするには一番好きな季節なので、のんびりと味わいたいと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です