あなたという現象、わたしという症状(ある詐欺師の告白)

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台本なんてないのに、僕は僕って決まっているみたいだ。
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「…アキレスのごとき足並みも、セイレーンのごとき歌声も、ヴィーナスのごとき容姿も、アテナのごとき知性も、テティスのごとき優しさも、神の名を冠するようなその性質が、必然であれ、偶然であれ、彼や彼女に発現した、それだけのことなのです。ですから、それらをまるで自分のものであるかのように思っている人に嫉妬する必要はありません。仮にもしもわたくしが世界中から賞賛されるような偉業を成し遂げたとしても、その力がわたくしに発現しただけ、あるいはその結果をもたらすためにわたくしが選ばれたというだけなのです。」

「それではまるで人形のようではありませんか。では人間は何のために生きているのですか。私はいつだって誰の目にもとまらない脇役でしかないのに、主役を演じる人間ですら誰かに操られているのだとしたら、私たちが自分と思っているものは一体何なのでしょう。」

「…。(手を口元にあてて考え込む仕草をする)」

「先生、万事がそのように発現する場所を選んでくるとしたら、それでは悪魔の所業とも呼ぶべき行いがあるとき突然目の前に発現したらどうするのですか。我々の意思に関係なくそれに巻き込まれて、たまたまあなたが悪の発現に出くわしただけですとそんなことを言われてはいそうですかと納得できるわけがないでしょう。あなたが悪いわけではない、そう言うのなら、なぜあなたでなく私なのか。その悪が発現した人間を責めるなということですか。そこに居合わせた自分が悪いとでも仰るのか…誰かのせいにできない怒りや悲しみや苦しみを、いったいどうしたらいいのですか。神に背いて自らの意思を持ってしまった人間の罪に対する罰なのですか。」

「…わたくしにもわかりません。」

「我々が意思を持つことは神にとっても想定外の出来事だったのでしょうか。事象を発現させるための土台として我々を地上に蒔いたとき、神はいずれそうなることを知っておられたのではないですか。それなのに善悪を判断するなとでも仰るのか…まさか苦しめとでも仰るのか!あるいは我々そのものが神の想定をこえて発現した事象だと考えるのは、人間の驕りですか。」

「…神が我々に罰を与えるなどわたくしは信じたくない…(天を仰ぐ)…そうなるとまるで、神にとっては善も悪もない、ただの事象を次々と発現させているだけのように思えます。神はただ我々を蒔き、その後はもう一切の手を加えておられないのかもしれません。しかしそれに思い悩む我々人間を見て、神が胸を痛めないということがあるなど…(頭を抱える)」

「先生、私は離れた場所で悪が発現したと聞いたとき、気の毒に思う気持ちと、完全なる他人事として、私でなくてよかったと安心している気持ちとに気が付くのです。その悪に飲み込まれたのは私かもしれなかったのに…もはやそれが罪でなくて何なのでしょう。私とその人と、一体何が違うというのですか。」

「(肘を机につけて指を組み、机を見つめたまま)だからといって、あなたの代わりにその方が苦しんでいるなどと考えてはいけません…。我々が何らかの力を及ぼしていると考えることこそ驕りではありませんか。次は自分かもしれないということに、もうあなたは気が付いている。」

「我々は皆ひとつであると思うとき、光の当たる面を見ているときでさえ、よく見れば些細な嫉妬が砂埃のように舞って光を反射しているようなことばかりでしょう…まして影に目を向けるならば、私は見て見ぬ振りをしているような、まるで自分ひとりが地獄から逃げおおせて今この平和な暮らしの中にいるような後ろめたさを感じるのです。先生、私は愛する人の手を引いている最中に地獄に落ちたならば、愛する人を踏み台にしてでも自分はひとり蜘蛛の糸をつかんで生き延びようとするに違いないという確信があるのです。愛する人のためではなく、我が身の醜さが露呈することをこそ恐怖して、いつも怯えているのです。そういう地獄に出遭わずに一生を逃げ延びたいと願う自分の本性に心底嫌気がさすのです。ああ、あの人を愛しているという気持ちは確かだと思っていたけれど、それはこの平和があってこそで、一過性のものなのかもしれない。あの人に愛していると言う度に騙しているような気持ちになるのです。自己の保身こそが唯一揺るがない私であるならば、先生、こんな私は救われるのですか。」

「(自らに言い聞かせるように、ゆっくり顔を上げて)…それが、人間というものなのではありませんか…。自分がそうではないと思うことこそ傲慢というものです。だからこそ、地獄で自らを踏み台にして他者を救う者を目の当たりにしたとき、わたくしたちは涙を流すのです。あなただって、愛する人が苦しんでいたならその苦しみをやわらげたいと願うでしょう。たとえ自らが苦しみを与えられなかったことへの安堵に対する罪悪感故に一層愛する人に尽くすのだとしても…。それにあなたのその確信が正しいのかどうか、わたくしにはまるであなたがそう信じたがっているようにも思えます…。少なくともあなたは、他人を踏み台にした者を地上から見下ろして罵るようなことはできないのではないですか。あなたはこの平和にあって愛する人とともにいられることをまず感謝すべきです。愛している人に愛していると囁くことのできる幸福を手にしておきながら罪人のような顔をしているのは、それこそ罪というものでしょう。」

「私は、この幸福がいつ奪われるのではないかと気が気でないのです…そもそもこれが私のものであるかどうかさえ、馬鹿げているかもしれませんが、本当にわからないのです。いや、先生の仰るように、すぐこんな考えをして、目の前の幸福からも目を背けるのが私の悪い癖なんでしょうね。…けれどもし人間であることが罪ならば、なぜ神はこのような罪をおつくりになったのか。神が過ちを犯さないと信じることも人間の罪なのでしょうか。」

「それに気付いてしまったこともまたひとつの罰なのかもしれませんし、あなたはやはりまるで…」

「…まるで?」

「(一つ咳払いをして)いえ」

「…」

「(ゆっくりと窓の方を見やり、目を細めるようにしながら)…でもただひとつわかるのは、あなたもわたくしも本当の地獄を知らないということです。」

「それに罪を感じることは罪なのでしょうか、罰なのでしょうか。」

「…わかりません。けれどもどうか今だけは、ああ、こんな寒い冬の日に、この温かな日射しをただ感じていられる幸福に、心から感謝しようではありませんか。わたくしたちにこれが与えられたのはどうしてなのかはわかりません。今これがわたくしたちに与えられたのはわたくしたちの力ではなく、きっとわたくしたちの行いへの褒美でも罰でもないのでしょう。それでもこのような幸せは、誰かから奪ってきたわけではなく、鍵のかかった人類共有の宝庫の中から特権を持った一部の者だけが鍵を開けて得られるようなものではなく、誰にでも等しく与えられ、手を伸ばせば誰もが触れられるものだとわたくしは信じたいのです。」

(暗転、第一幕終了)

(ナレーションA)私は医者を信じていないから、時々こうして鏡を見て、私という症状を自分で確認する。もしも君がこの症状に気が付いたなら、それでも変わらぬ友情を示してくれるのか、私には確信が持てないから、君がなかなかいいいと褒めてくれるこのマスクを外せないのだ。

(ナレーションB)君は君という現象として私の目の前に現れた。だから私はそれに反応し、私という症状を選んでいるのだ。君は君自身を症状で塗りつぶし、私という症状を見ようとしない、あたかも私が現象でしかないと信じている。私にだってかかりつけの医者くらいいる。君と私の違いなんて、それくらいのものさ。

(ナレーションC)卵が先か、鶏が先か。

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