「燃えるゴミは月曜日」

学生の頃、MTRで録音していて、録音媒体がSDカードでした。

最初は容量がメガバイト単位のものを使っていたのですが、それでも値が張るものでした。
何年かして気がついた頃には、当時の値段が何だったんだろうというほど安く手に入るようになりました。
4GBのものを買ったらMTRが規格に対応しておらず、1GBのと交換してもらったなとぼんやり思い出します。

新しい技術が生まれて、乗り遅れたりとりこぼされたものは消えていくしかないのかと、機材やら何やらを整理しながら、これまたぼんやりと思いました。
アンティークの家具や骨董品等は、きっとこれとはまた違った意味合いを持って愛されていて、技術は、それぞれは成長過程だったり次の段階へのパーツだったりして、新しいものに引き継がれて、各々を支えにしていた人間が時として離島に取り残されるような、はて。

5年先10年先、それとももっと短い期間で、自分に思いもよらない何かが世界に誕生するのか、それについていけるのか、いけないのか、ついていけなくても案外大丈夫なのか、もしかしたら次々と楽しむのか、それによって心地よい生活ができるのなら、こだわりよりも好奇心がほしいような、必要に迫られて新しいものを必死で追いかけるのも苦しいような…。
状況が選択を許さないこともあるけれども、自分がどうしたいのかが先にあって、それも刻々と変化したりするので、時々で選択し直さないといつの間にかどこかに流されてしまって、しかしそれはそれで楽しいのかもしれないです。

機材や楽器の傷や何かを眺めると色々思い出して、どこにでも売っているありふれたものなのに、関わったり所有した瞬間から、愛着のような、自分の一部のような、自分のモノという感覚は何とも厄介だけれども、それがないと何も大事にできないのかもしれないと思ったりします。

記憶や思い出は頭の中に残っていて、モノと一緒にそれも捨ててしまうわけではないけど、少なくともそれを見て思い出すということがなくなるのが、少し寂しいような気もします。
けれど、過ぎたことを大切にすることと、新しいものに目を向けることは相容れないことではなくて、両方あるから、どちらのありがたみもわかるのかもしれないと思います。

書いていていつも話が明後日の方向に流れて行ってしまい、着地点を明確に具体的に決めないとこうなるのか、人生しかり作曲しかり、でも書いている途中で気がつくことが多くて、旅の楽しみは道中にありというし、とにもかくにも作業に戻らねばと思いつつです。


ブログタイトルはBUMP OF CHICKEN「分別奮闘記」より

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